July 01, 2007

雑学でも披露しますか…

どの家にもある会話

「ねえ、今年の御中元どうする?」

 そろそろそんな話しが出てくる季節です。デパートでは「中元商戦」という言葉があるほどで、贈答合戦と言うことでは夏の御中元・冬の御歳暮が2大巨頭ですが、この御中元て何だろうと思ったことはありませんか?

さて、ここから本題です。中元と言うことですから、何となく前後があるように思えませんか、たとえば

1.「大元・中元・小元」
2.「初元・中元・終元」
3.「上元・中元・下元」

とかですね。実は上記の1〜3の中に本物があるのですが、お解りになりますか?
正解は3。上元・中元・下元があるのです。

 暦に関する古い話しにはたびたび登場する中国の思想、陰陽説・五行説の陰に隠れているのですが「三元論」というのもありまして、これが上中下元のもと。
 上元・中元・下元までを三元と言い中国伝来の暦法では年の折り目の日とされた日で、道教の祭日でした。その日付は

   上元・・・正月十五日
   中元・・・七月十五日
   下元・・・十月十五日

 当然ここで登場する日付も元は太陰暦の日付でしたから、「十五日」とは十五夜、つまり満月の日付だったわけです。古い時代は満月の時期にいろいろな行事・祭りが行われた形跡があり、これもその一つ。
 実は三元が現在のように3つの日付に分かれたのは後世で、初期の頃は暦上の三元とは元旦のことを言ったものです。「三元は、三つの元」と言う意味ですがこの三つとは「年・月・日」のことで、その三つが始まる元旦が三元だったわけです(これが現在言われる三元のように日付が分かれたのか、この辺については調べ切れませんでした。見つかりましたら、後日補足致します)。

 元はこの三元の日には夜祭りが行われ、終夜灯籠に日を灯して神をまつった日だったと言います。中元の日は贖罪の日で終日庭で火を焚き、罪を懺悔した日でした。
 中国のこの行事は道教の神、三官大帝・・・竜王の孫だそうな。長男は一月十五日、次男は七月十五日、三男は十月十五日生まれだそうです・・・の二番目の神(次男)の仕事が、人の罪を許すことであったため、この神の誕生日にその廟を訪れて罪の許しを願ったことが始まりとされています。
 現在の中元(「お中元」?)と言えば品物の贈答が盛んですが、これは中元の日に贖罪の意味で近所に品物を贈ったことに起因するものです(もちろん現在ほど盛んになったのは明治以降の「百貨店販売戦略の勝利」と言う点を忘れてはなりませんが)。

 それと中元の日付が七月十五日と言うことで仏教の盂蘭盆とも結び付いた面があります。たとえば「生き盆」という両親が存命中に、その恩に感謝して両親や目上の人に進物を贈る風習がありますが、これも現在の中元の贈答戦への道筋にあったように思えます。

 先に書いたように中元以外にも上元・下元があるのですが現在では他の二つは影を潜めています。上元については「小正月」という行事にかろうじてその姿を残しているようですが、下元の日はどこかへ行ってしまったようです。 

「上元・中元・下元」は知っていましたが、その他の詳細については元々私が知っていたものではなく、1時間ほどサイトをうろうろしていたら、これだけ情報が集まりました(一部私の主観が入っていますが)。

簡単に情報を集めることができる反面、情報の信頼度をどうやって確認するか。今、話題の情報収集力。これからの時代には欠かせないものです。さらにそのツールとしてネットが欠かせないものになっています。ただ、情報過多のこのご時世。気になるサイトをすべて回っていたら、1日の半分が終わってしまいます。そんなに時間を割くほど暇ではないし…。そこで情報収集力をシェアする手として、ウィキペディアを利用させてもらっています。もう一つの重要なツールはRSS。RSSについては、話が長くなるのでまたの機会に。(^^)/~~~



keiho_drama_club at 01:24│Comments(1)TrackBack(0)その他 

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この記事へのコメント

1. Posted by ハイヤ武士   July 01, 2007 13:41
進学情報を得るにも今ではケータイでできてしまいますし、どんどん情報ツールは便利になってるんですねぇ〜
大学の課題レポートでは“Webサイトからの転用禁止”って注意書きがされるまでになりましたし、数年で随分と変わってしまうモンだと驚いています。

雑学ありがとうございます!
さっそく使ってみようかなぁ〜

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