April 26, 2010

見えない仕事

約一ヶ月ぶりの更新。といっても誰も見ていないからまた好き放題に書こう。

昨日、県立諫早総合陸上競技場へ行った。

といっても何かの試合ではなく、国体前の改修でイベントをやっていたからです。

入り口を抜け、フィールドにたった瞬間、青々とした芝に感動。

クッション性も手触りも感触もすべてが理想の芝。こんな芝が我が家にあったら…と思うくらい芝の手入れは大変。

このとき、以前テレビ(スマステーションだったかな?)でやっていた特集を思い出しました。国立競技場のグラウンドキーパーの話。

今でこそ、世界最高水準の芝とまで呼ばれていますが、その当時は…。

芝に関して簡単なイントロダクションを。芝には寒地芝(生育温度16〜24℃)と暖地芝(25〜35℃)があり、それぞれ成長する温度が違います。ですから一年中緑の芝を育てるというのは、四季のある日本ではかなり難しいのです。という我が家も、夏こそ青々とした芝生ですが、冬は枯れています。芝の種類によっても違いますが、ご近所さんも含めて、最近やっと青くなってきたかな、というくらいです。

オリンピックから15年後の1981年。国立競技場が再び世界から注目を浴びることとなる大会が開催されました。サッカークラブ世界一決定戦「トヨタカップ」の開催です。南米とヨーロッパのサッカーのクラブチャンピオンが中立国の日本で、真のクラブ世界一の座をかけて争う、全世界注目の大会でした。しかし、この大会で国立競技場は聖地としてのプライドをずたずたに引き裂かれることとなったのです。試合の前日、国立競技場のグラウンドで練習に終えた世界のスーパースターたちは、口を揃えてこう言いました。「で、本番はどこで、試合するんだい」。実は、当時の国立競技場は、いわゆる日本芝と呼ばれる低温に弱い高麗芝を敷いていました。そのため、冬になると茶色く枯れてしまっていたのです。青々とした緑の芝でプレーすることが当たり前の一流プレーヤー達にとって、枯れた芝生のグラウンドでプレーすること自体、あり得なかったのです。「枯れた芝生では日本の恥を世界にさらすことになる」。(NAASHより)
そんな中、当時の管理責任者を中心とし、どうすれば冬でも青々とした芝にできるのか、世界中のありとあらゆる芝を取り寄せ、自宅の庭に植え、今では当たり前になった、「ウィンターオーバーシーディング方式」にたどり着きました。簡単に言うと芝の二毛作。

しかし一年中緑の芝を保つのは至難の業。水の管理や土の管理、雑草や芝の長さ、適切な時期に適切な管理をしないとすぐに病気になったり枯れたりします。

改めて話が戻りますが、競技場のグランドに立ったとき、青々とした芝に感動した自分以上に、この芝を日々管理している人のことを思いました。

競技場で華々しくプレーしているその影で、目立つわけでもなく、目立とうとしているわけでもなく、景観とプレーのしやすさを最優先に考え、日々の管理を行う。

自分の仕事をその成果を、アピールしたり、認めてもらいたいタイプの人間にはできることではないですね。

目立たないところでの日々の地道な努力の上に、成果というものはあるのでしょう。シュートを決めた人間がすごいのではなく、それをアシストした人間、それも人目につかない裏方で。

頭が下がる思いです。驕り高ぶらず、地道に自分のやるべき事をコツコツと。そんな風にありたいですね。

keiho_drama_club at 02:34│Comments(1)TrackBack(0)プライベート 

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この記事へのコメント

1. Posted by ママさん   April 27, 2010 21:44
先生、ご無沙汰してますm(_ _)m ママちゃんのご懐妊 おめでとうございます 諌早での 姫ちゃん楽しかったみたいですね ママちゃん、つわりも出てきたみたいだし 奥様孝行に励んでくださいね うちのチビは頑張っていますよ? 学校へ行った時は、話し相手になってやってください では、また

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